1. 「民事責任の手引き」の概要と背景2026年4月9日、経済産業省は「AI利活用における民事責任の解釈適用に関する手引き(第1.0版)」を公表した。本手引きは、AIの開発・提供・利用に関わる当事者が、事故や権利侵害が発生した場合にどのような責任を負う可能性があるのかを、民法の不法行為と、製造物責任法の観点から整理したものである。日本では、AIに関する損害が発生した場合、既存の民事ルールとソフトローで対応する方針を採っている一方、裁判例の蓄積がないため「責任の所在が不明確であることがAIの開発や導入を躊躇させる一因」と指摘されてきた。このような状況を踏まえ、本手引きは、AIを用いた事業において事故が生じた場合の架空の想定事例をもとに、現行法がどのように適用され得るかの方向性を示すことで、関係当事者の予測可能性を高めることを目的としている。本手引きは、それ自体に法的拘束力があるものではなく、最終的な判断は裁判所に委ねられるとしている。とはいえ、関係省庁が有識者の議論に基づき、現時点で可能な限り合理的な考え方を示したものであり、今後の法解釈において重要な指針になるだろう。2. 「補助/支援型」と「依拠/代替型」― 2つの類型本手引きは、AIが利用される形態を「補助/支援型AI」と「依拠/代替型AI」の2つに分類している。「補助/支援型AI」については、最終的に人が判断することから、基本的には従来の過失の考え方を適用することができる。これに対し、「依拠/代替型AI」では、人の判断が介在しない場合の責任をどう考えるかという新たな問題が生じる。以下では、より自律性の高いAIである「依拠/代替型AI」について、責任判断の枠組みを整理した上で(3.)、「自律走行ロボット(AMR)」の事例を取り上げ、具体的な責任の範囲を解説する(4.)。3. 「依拠/代替型AI」の責任の枠組み3.1 該当性の判断基準AIを「補助/支援型」と「依拠/代替型」に分類する場合、どのような場合に後者と判断されるか。これについて、本手引きは以下の2つの要素で判断するとしている。必要性:人による判断を介在させることでは実現困難な効用が見込まれること(例えば、人が全件を遂行することが困難な作業量をAIが処理する場合や、人だけでは難しい時間帯・物理的領域でAIが自動的に処理を行う場合)。精度及び安全性:社会的に期待される水準の安全性を満たすこと(例えば、同種業務に従事する通常人の作業水準と比較して、同等以上の水準を備えている場合)。3.2 各当事者の責任依拠/代替型AIにおいては、以下のように、AI開発者・提供者とAI利用者のそれぞれが異なる観点から責任を評価される。(1) AI開発者・提供者の責任:「設計」と「説明」に関する注意義務AI開発者・提供者に対しては、主に以下の2つの観点から責任が評価されるとする。設計上の注意義務:精度や安全性を発揮・維持するための設計上の措置が適切であったか。説明上の注意義務:AIの機能や性能の限界に加え、どのような状況下でリスクが高まるか、どの範囲で人が関与すべきか等、リスクコントロール上重要な情報をAI利用者に対して説明していたか。本手引きは、依拠/代替型AIでは、人の判断を介さずにAIの出力がそのまま結果に結びつき得るため、これらの義務に求められる水準は、補助/支援型AIより高くなるとしている。(2) AI利用者の責任:「構築」と「運用」に関する注意義務依拠/代替型AIを利用する場合、AI利用者の注意義務は、「人が合理的な判断や行動を行う」という従来のものから、「AIシステムを組み入れた業務プロセスの適正な『構築』と、リスクを可能な限り低減しながら行う『運用』」に転換される。具体的には、以下のような義務が考えられるとする。構築に関する注意義務:導入する業務がAIによる自動化に適しているか、望ましい水準のAIシステムを用いているか、リスクを踏まえた利用体制やガバナンスを構築しているか。運用に関する注意義務:AIの望ましくない出力により損害が生じる可能性を低減するため、運用過程において合理的な措置を講じたか(例:AIは継続学習やアップデートにより精度が事後的に変化する可能性があるため、運用中に精度が低下して依拠/代替型AIとしての運用に適さない状態になっていないか)。他方で、本手引きは、上記の構築・運用上の注意義務を果たしていれば、たとえAIが結果として望ましくない出力を行った場合であっても、AIの出力を一件一件チェックして是正するまでの責任は負わないとしている。3.3 AI事業者ガイドラインとの関係本手引きは、総務省・経済産業省の「AI事業者ガイドライン」への適合が直ちに過失の有無に結びつくわけではないと明記しつつも、ガイドラインに沿ったリスク管理を行っていたことが、予見可能性や結果回避義務の判断において「過失を否定する方向の事情」として考慮されるとしている。また、AIマネジメントシステムに関する国際標準(ISO/IEC 42001等)の認証活用も、実務上合理的な対応策を講じていたことを裏付ける一要素となり得るとされている。したがって、AIガバナンスの構築は、単なるコンプライアンスの問題ではなく、万一の際の責任リスクを低減する経営上の取組みとして位置付けられている。本手引きによって、AIガバナンスの重要性が改めて確認されたといえる。4. 自律走行ロボット(AMR)の責任関係4.1 事例の概要本手引きで紹介されている想定事例6では、倉庫内で稼働するAMR(Autonomous Mobile Robot)が取り上げられている。メーカー(M)が製造・販売するAMRを、物流業者(N)が自社倉庫に導入し、従業員が運用するという設定である。本手引きでは以下の3つの事故パターンが検討されている。【本手引き54頁より抜粋】なお、ユーザー(AI利用者)の責任はAMRの特性やメーカーの設計・説明内容に左右されるため、以下ではまずメーカー(AI開発者・提供者)の責任を整理し、その後にユーザーの責任を述べる。4.2 メーカー(AI開発者・提供者)が留意すべきこと(1) 製造物責任法の適用:「欠陥」の判断(事例a)ソフトウェアが組み込まれた製造物については、ソフトウェアの挙動も含めて「欠陥(=通常有すべき安全性を欠くこと)」があるかが判断される。もっとも、AMRのように自律的に動くロボットは、状況に応じて柔軟な挙動をすること自体が製品の特性であるため、「どこまでの安全性があれば十分か」の判断が難しい。この点について、本手引きは、「統計的・総体的な安全性」(人の判断と比較し、AMRの方が確率的に安全か否か)と「個別状況における安全性」(事故が起きた具体的場面で発揮すべき安全性を備えていたか)の2つの視点を挙げつつ、いずれか単独では十分でなく、従来の工業製品の考え方も踏まえた総合的な評価が必要としている。この総合評価のなかで、特に問題となるのが、①設計上の欠陥と②指示・警告上の欠陥(上記3.2 (1)参照)である。①設計上の欠陥設計上の欠陥の有無は、「当該事故を回避可能な合理的な代替設計が存在したか否か」が基準となる。その判断にあたって、本手引きは、事故原因が製品側にあるか、利用環境・運用側にあるかによって、メーカーとユーザーのいずれに責任が帰属しやすいかが異なるとして、以下のような考え方を示している。製品の基本安全機能に不具合があった場合:保護停止機能等の安全機能がバグにより発揮されなかったようなケースでは、バグのない代替設計が通常可能であるため、設計上の欠陥に該当する可能性が高い。事例a-1では、保護停止機能のバグにより停止が遅れ衝突しているが、仮に人が運転するフォークリフトであれば、歩行者の接近を目視で確認し停止できた可能性があり、また、バグのない代替設計も通常実現可能であるため、設計上の欠陥と評価されやすい。利用環境・利用方法に起因する場合:倉庫のレイアウト等の現場の環境はユーザーが管理しており、AMR導入に際してもユーザーがリスクアセスメントを行うことを前提としていることから、メーカーの設計上の欠陥ではなく、ユーザーの事故回避措置の不備が問われやすい。事例a-2では、メーカーから説明されていたセンサ表面の定期清掃をユーザーが怠った結果、検知が遅れて衝突しているので、設計上の欠陥に該当する可能性は低い。また事例a-3では、従業員が巨大な脚立を担いで移動していたためAIがそのシルエットを人と認識できなかったが、このような例外的な状況でのAIの誤検知はAIの性質上避けがたい限界である場合もあり、臨時作業時にAMRの稼働を休止する等の運用上の措置はユーザーが講じるべきものとされ、設計上の欠陥が否定される方向に傾く。リスクアセスメントで合意した設計の場合:メーカーとユーザーが合意した設計がある場合には、安全性判断にあたっても当該設計が尊重される。事故後に、「より高性能なセンサを搭載していれば防げた」と主張しても、それが当初の合意を大きく上回るコストを伴う場合、合理的な代替設計とは認められにくい。② 指示・警告上の欠陥指示・警告上の欠陥の判断に際しては、ユーザーがリスクアセスメントを行い、合理的な回避行動を取るために必要な情報(センサ検知範囲、停止距離、非常停止の操作方法等)をメーカーが明確に説明していたかが問われる。その際、技術的な詳細を並べるだけではなく、「どこに障害物が来ると停止するか」「どの角度から近づくと停止が難しいか」といった、現場の人が体感的に理解しやすいレベルでの説明が重要とされている。(2) アップデートと製造物責任法の関係(事例b)製造物責任法では、製品に「欠陥」があったかどうかは「引渡し時点」を基準に判断される。そのため、引渡し後のソフトウェア・アップデートによって初めて生じた不具合を「欠陥」として評価できるかが論点となる。この点について、本手引きでは2つの見解が示されている。第1の見解(限定的解釈):引渡し時点に不具合の潜在的原因があった場合に限り、引渡し時の欠陥と評価できる第2の見解(柔軟な解釈):アップデートが予定されている製品では、最終アップデート時までの影響を欠陥判断で考慮できる例えば、事例bでは、第1の見解(限定的解釈)を前提とすると、AMRの引き渡し時点で存在した潜在的不具合のみが欠陥とされ、第2の見解(柔軟な解釈)の場合、アップデート後に生じた不具合も欠陥となりうることになる。本手引きは、AIのように、ソフトウェアのアップデートを通じて品質や安全性の向上が前提とされる製品については、第2の見解のような柔軟な解釈を行う必要性が高まっていると指摘しており、今後の議論の動向が注目される。(3) 自己診断AIを搭載したAMRと製造物責任(事例c)事例cでは、AMRのバッテリが高温となり、充電禁止の警報が発せられた。しかし、AMRに搭載されたLLMベースの自己診断AIが、これを単なる「温度センサの一時的な異常」と誤って判断し、「充電禁止の設定を解除しても問題ない」と提案した。そこで、従業員がこの提案に従って充電禁止の設定を解除したところ、バッテリの過熱が進行し、発火に至ったというものである。事例cでは、自己診断AIを依拠/代替型として用いる場合、従来は人の技術者が担っていたトラブルシューティングを代替するものであるとみることができるため、「通常の技術者ならどう判断するか」という観点から、AIの出力の欠陥を評価し得るとしている。バッテリの高温アラートが出ている状況で充電禁止のセーフガードを無効化するよう推奨することは、通常の技術者であればおよそしない判断であり、安全性に欠ける出力と評価される可能性が高い。また、ユーザー(AI利用者)が必ずしもAMRのメンテナンスの知見を有していないことから、従業員がこのような危険な設定変更を実行できてしまう状態のまま製品を提供したこと(すなわちアクセス制御等を講じていないこと)は、設計上の欠陥と評価される可能性もあるとされている。4.3 ユーザー(AI利用者)が留意すべきことユーザー企業であるNは、従業員Vに対して、労働契約法上の安全配慮義務を負う立場にある。その内容は、上記3.2のとおり、依拠/代替型AIを利用する場合、ユーザーの注意義務はAIシステムを組み入れた業務プロセスの適正な「構築」と「運用」へと転換される。本件AMRの事例に即していえば、Nは、導入時や運用過程においてリスクアセスメントを行い、その結果に基づいて必要な安全措置を講じること、適切な運用体制を整備すること、従業員への教育・指導を行うこと等、事故回避のための合理的な対策を講じるべき義務を負うと考えられている。具体的には、ソフトウェアのバグに起因する事故(a-1)のように、ユーザーにとって予見や対処が困難な原因による事故であれば、安全配慮義務違反は認められにくい。これに対し、メーカーから説明を受けていたメンテナンスを怠っていた場合(a-2)や、AIの誤検知が生じやすい状況であるにもかかわらず運用を継続した場合(a-3)は、ユーザーの安全配慮義務違反が認められる可能性がある。5. 今後の対応の方向性本手引きは、「依拠/代替型AI」について、業務プロセスの「構築」と「運用」を軸にした新たな責任の判断枠組みが必要であることを示した。上記のとおり、本手引き自体に法的拘束力はないものの、裁判例の蓄積がない現段階において、AI利活用に伴う責任を考える上での重要な指針となる。AI利用者にとって特に注目すべきなのは、適切なガバナンスの実践が、万一事故が生じた際に、過失を否定する方向の事情として考慮され得るという点である。AIガバナンスの構築・運用は、単なるコンプライアンス対応ではなく、自社の責任リスクを低減するための経営上の取組みとして位置付けられる。AI開発者・提供者についても、ソフトウェアなどのサービスについては民法の一般不法行為が適用されるため、やはり適切なガバナンスの実施が過失の判断の有無に影響し得る。他方、AMRのような製造物に組み込まれたAIについては、主に製造物責任法上の「欠陥」の有無(設計上の欠陥及び指示・警告上の欠陥)で責任が評価されるが、これらの欠陥を防ぐために、安全性や透明性といった適切なAIガバナンスの実践がここでも重要となる。本手引きの公表を機に、企業としては、まず自社が開発・提供・利用するAIが「補助/支援型」と「依拠/代替型」のいずれに該当するかを整理した上で、適切なAIガバナンス体制を構築し、文脈に応じたリスク評価と対策を実施することが重要である。本稿は公開情報や執筆者の専門的知見に基づいた一般的な分析・見解を提供するものです。本稿に記載の見解は執筆担当者の個人的見解であり、当社または当社のクライアントの見解ではありません。