1.はじめに第1回のレポートでも述べた通り、2026年のインドAIサミットにおいて最も頻繁に言及されたキーワードの一つが「AI主権(AI Sovereignty)」である。首脳宣言においても、「AIリソースの民主的普及(Democratic Diffusion of AI)」として各国が合意した内容は、本質的には民主主義(Democracy)ではなく、AI主権の確保に関する議論だったといえる。しかし、この「AI主権」という言葉が指す内容は、発言者の立場によって大きく異なる。米国や中国のような覇権国、インドやカナダ、そして日本を含むミドルパワー(中堅国)、そしてオープンソースコミュニティの推進者たちは、それぞれ異なるビジョンを描いている。今回は、サミット期間中に交わされた議論を整理し、「AI主権」の3つのアプローチを紐解く。第1回:首脳宣言が示す「AIリソースの民主化」とテックトップが語る「AGIの加速」第2回(今回): 「AI主権」を紐解く3つのアプローチー覇権、ミドルパワー、オープンソース第3回:「AIセーフティ」の最前線—複雑化するリスクと多層的ガバナンスへの道筋2.AI主権とは何か——完全自前主義から選択遂行能力へ従来の「デジタル主権」の議論は、データの国内保存やプライバシー保護、ビッグテックへの規制などを巡るものだった。そしてその先には、ハードウェアからソフトウェアに至るまでシステムのすべてを自国で賄うフルスタックの自前主義が見据えられていた。しかし、莫大な資本と圧倒的な計算資源を要求されるフロンティアAIの登場を受けて、その主権のあり方は見直しを迫られている。サミットに合わせて英トニー・ブレア研究所(TBI)が発表したAI時代の主権に関するレポートは、従来の考え方を「高価すぎ、遅すぎ、ほとんどの国にとって不可能」と明確に退けている。同レポートは、現代のAI主権を「他国からの完全な独立」ではなく、「AIがどのように統合され、統治され、活用されるべきかについて、国家が意図的かつ未来志向の選択を下す能力」の問題であると再定義した。重要なのは、主権は「独立」と同義ではないという点だ。AI開発に必要な半導体、クラウドプラットフォーム、技術人材は世界的に偏在しており、米国と中国が世界のAIデータセンター容量の90%以上を支配している。この現実において、完全な技術的自給自足は、ほとんどの国にとって非現実的であるだけでなく、最善の戦略でもない。AI主権とは「すべてを自国で作ること」ではなく、「相互依存の世界において、戦略的に行動する能力を維持すること」なのである。上記レポートは、各国が採り得る戦略として「Control(制御)」「Steer(誘導)」「Depend(依存)」の3つを示しており、AIスタック(計算基盤、エネルギー、データ、モデル、アプリケーション、人材、ガバナンス)の各層において、自国としてどのような立ち位置を取るべきかを検討すべきとしている。3.覇権国アメリカの立場——米国のAIスタックの輸出AIサミットにおけるマイケル・クラツィオス局長の基調講演は、覇権国としてのAI主権のビジョンを明確に示すものであった。「我々は、AIのグローバルガバナンスを完全に拒否する」——この発言は、国際的なルール形成への消極的姿勢を示すと同時に、米国主導のエコシステムへの参加を促すものだ。クラツィオス氏が提唱する「真のAI主権」は、各国が米国製のチップやデータセンターなどのハードウェアを購入・保有することである。つまり、米国製の技術スタックを各国が自国内に所有することで、主権を確保できるという主張だ。「米国企業は、大規模で独立したAIインフラを構築できる。それを構築すれば、それはあなた方のものだ」——この言葉は、一見すると各国の自律性を尊重するように聞こえるが、実際には米国のAI輸出戦略と表裏一体である。米国は、2025年12月に、AIと半導体の安全なサプライチェーン確保を目的とした新たな国際連携枠組である「Pax Silica」の発足を主導し、今回のサミットではインドがこの枠組に署名した。クラツィオス氏の主張は、覇権国ならではの論理である。米国にとって、各国が米国製技術を導入することは、自国産業の拡大と同時に、中国の影響力を抑制することにもつながる。しかし、ミドルパワーの視点からは、これは新たな依存関係の構築とも映りうる。4.ミドルパワーの生存戦略——レジリエンスとレバレッジアメリカ主導の構図に対し、圧倒的な計算資源を持たない日本、カナダ、フランス、インドなどの「ミドルパワー(中間国)」の連携は、これまでになく重要性を増している。筆者がサミット期間中に参加した、カーネギー平和財団とORF(オブザーバー・リサーチ財団)が共催したラウンドテーブルでは、ミドルパワーの切実な生存戦略が白熱した議論を呼んだ。参加者たちに共有されていたのは、計算資源のスケール競争において、兆円単位の投資を行うアメリカの巨大フロンティア・ラボに真っ向から勝つことは事実上不可能であること、そしてこのままだと、ミドルパワー諸国は覇権国から『AIトークン』を配分してもらうだけの存在になりかねないという危機感だった。ミドルパワーの戦略としては、以下の2点の重要性が主な議論の中心となった。レジリエンス(Resilience)の確保:汎用の超巨大モデルはアメリカに依存するとしても、有事の際のフォールバック(代替)手段を完全に失ってはならない。自国の文化や言語、独自の産業データ(日本のロボティクスデータや医療データなど)に基づく小規模モデル(SLM)や、基幹となるオープンソースソフトウェアは、自国単独あるいはミドルパワーの連携で構築・維持する。レバレッジ(Leverage)の獲得:米国の巨大企業が巨額の投資を回収するためには、グローバルな市場へのアクセスが不可欠である。ミドルパワーは自国の巨大な市場へのアクセス権を交渉カードとして使い、アメリカの巨大企業からインフラの現地化や、より有利な利用条件を引き出す。さらに、最先端モデルの開発ではなく、AIの「社会実装(Diffusion)」とデジタル公共インフラ(DPI)の構築において競争優位を築くことで、グローバルなエコシステムにおいて無視できない存在となる。また、リスク評価能力の構築の重要性も指摘された。当面は覇権国のフロンティアモデルに頼らざるを得ないとしても、各国がモデルの評価能力を持てば、開発者に対してより安全で倫理的なモデルを求める圧力をかけられるという視点である。5.オープンソースへの期待と課題——信頼できる「第三の道」を求めてクローズドモデルによる市場支配と覇権国への依存に対する対抗軸として、誰もがアクセスできる「オープンソースAI」への期待も高まっている。むしろ、フロンティアAIを自前で開発する資本をもたない殆どの国にとっては、コミュニティ主導のエコシステムに参画し、オープンソースを基盤に自国の最適化を図ることが、唯一の現実的なモデルであるとも言えるだろう。一方で、オープンソースにはリスクも伴う。悪意ある改変や誤用の可能性、セキュリティ上の脆弱性、そして持続的な資金確保の課題がある。興味深いことに、中国もまた独自のオープンソース戦略を展開しており、「開放性」を旗印に自国のエコシステムを正当化しようとしている。オープンソースが真に「第三の道」となるためには、信頼性と持続可能性の担保が不可欠だ。次回のAIサミットのホスト国であるスイスのアプローチは、信頼できるAI開発に向けたオープンソースプロジェクトの代表例だ。チューリッヒ工科大学などが共同で開発した「Apertus」は、2025年9月に公開された完全オープンソースの大規模言語モデルである。透明性を重視し、訓練データ、モデル重み、アーキテクチャのすべてを公開している。「デジタル主権を強化し、米国や中国のモデルに代わる選択肢を提供する」というビジョンは、多くのミドルパワーの関心を集めている。もっとも、その性能はフロンティアAIと比較すると道半ばだ。別の動きとして今回のサミットでも注目を集めていたのが、AIの「ゴッドファーザー」の一人であるヨシュア・ベンジオ教授が2025年6月に立ち上げた非営利組織「LawZero」である。LawZeroは、オープンソースのAIをベースに、商業的圧力から切り離された環境で「安全性を設計原理とするAI(safe-by-design AI)」の研究開発を行う。フロンティアモデルが示す欺瞞や自己保存といった危険な行動傾向に対抗するため、「Scientist AI」と呼ばれる非エージェント型のAIアプローチを追求している。サミット直前の2月14日には、カナダとドイツが「主権技術同盟」(Sovereign Technology Alliance)を創設し、LawZeroへの協力と支援に合意したことも話題になった。<まとめ>AI主権を巡る議論は、単純な「自給自足 vs 依存」の二項対立ではない。覇権国アメリカは自国技術スタックの輸出を「真の主権」と位置づけ、ミドルパワーは連携とレバレッジによる戦略的自律を模索し、オープンソースコミュニティは透明性と信頼性を軸にした第三の選択肢を提示している。各国が採りうるアプローチは、そのAIスタック上の立ち位置——計算資源、エネルギー、データ、人材、ガバナンス能力——によって異なる。重要なのは、「何を制御し、何を誘導し、何について戦略的に依存するか」を明確にすることだ。相互依存の世界において、主権とは孤立ではなく、選択肢を持ち、交渉し、適応する能力を意味する。次回、第3回では、かつての「人類存亡の危機」からより現実的で実務的な議論へと変容を遂げた「AIセーフティ」の現在地について詳報する。<こぼれ話>現地の交通は大混乱AIサミットには世界中から10万人の人が押し寄せ、現地の交通は大混乱であり、インドの大臣自身が「これはカオスだ」と述べるほどだった。道のいたるところで、予告のない通行止めなど交通規制が頻発し、私の乗ったタクシーは4キロ先(徒歩1時間の距離)に着くのに2時間半かかった。そのため、パネルディスカッションの主賓が終了予定時刻になってから到着した、といった話もあちこちから聞こえてきていた。本稿は公開情報や執筆者の専門的知見に基づいた一般的な分析・見解を提供するものです。本稿に記載の見解は執筆担当者の個人的見解であり、当社または当社のクライアントの見解ではありません。